桜梅桃李



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曲がり角

大雪が降って子どもたちは駆け回り、何度も着替え、
寒いと言っては何度もお風呂に入り、洗濯物は乾かず…

がしかし、雪はあたしのエネルギー源。
わわわーい! みしみし踏み固めながら街をぐるりと一周、不在者投票へ。

その後、暖かな隠れ家で『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』(新潮文庫)を読む。
村岡花子は『赤毛のアン』を訳し、日本に紹介した女性である。
作者は、村岡氏の孫にあたる村岡恵理さん。

まだ半分ほどしか読んでいないのだけど、当時の出版や文学事情が分かり、
登場人物の情熱に目を瞠る…なかなか読みごたえのある伝記です。
いま読んでいるのは1923年、関東大震災のあたり。

この頃はまだ普通選挙でさえ行われておらず、日本において女性の参政権が
獲得されるのは1945年。(今知った…)
今日の権利は先人の計り知れない努力の賜物。
ああ、生きてるうちに女の都知事とか女の総理大臣とか見てみたいもんだ。

それよりも母性的なおじさん、つまりはおばさんおじさんが増えると明るい。
おじさんおばさんも悪くないんだけど、おばさんおじさん熱烈歓迎!
(その前に自分の母性をなんとかしなさいよ…)

ここで『赤毛のアン』の一節を。

いま曲がり角にきたのよ。
曲がり角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。
でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。


折々思い出す大好きなことばだ。
とりあえず、今晩のおかずのてんぷらをていねいに。
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by udonge7030 | 2014-02-08 17:01 | 日々のあわ

波風

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あるひとに久しぶりに会った。
案外近くに住んでいるが、ここのところまったく念頭になかったひとだ。

そのひとは『半沢直樹』の世界にいたが、出向先で辛い思いをし、早めに定年を迎えた。
その後引きこもり、どんどん不潔になり、風呂は半年以上入らず。
着替えは月に一、二度、髪もひげも伸び放題で『猿の軍団』(70年代のテレビドラマです)
みたいな外観。すっかりお爺さんになっていて驚いた。

本人曰く、やりたくてやっているのではないと言うが、それ以上は語らない。
適した薬があれば快方に向かうのかもしれないが、病院へ足を向けないのだから
どうしようもない。

美人の奥さんは、いっぱいいっぱいの様子だった。
しかし、そんななりでもそのひとは相変わらず優しく、声を荒げたことなど
一度もないという。知性や社会性には問題がないのだ。
引きこもりと不潔は確かに問題だが、現にこうしてあたしを迎えてくれたじゃないか。

あの、アドバイスじゃなくて素朴な意見なのですが。
本人がいない時間、奥さんにこう言った。
ご主人ではなく、仙人かゆるキャラだと思うってのはいかがでしょう?
奥さんは怒らずに、びっくりして、笑ってくれた。

そして、本人にはしつこく言い寄って、髪とひげを切らせてもらった。
裁ちばさみで、娘のような、母親のようなきもちで毛を落としてゆく。
こんなやりかたがいいのかわからないが、不潔だからとか奥さんが可哀想だから
ではなく、やりたいからやるのだ。

これは吉本ばなな氏の小説の一文
ただ、もうそのひととしかできないことだけしか、したくないのだ。
まさにその心境だ。

そのひととしかできないお喋り。そのひととしかできない秘密の遊び(笑)。
そのときしかできない食事。そのときの最善の行動。
すべて一期一会と言ってしまえばそれまでだが、普段から磨きをかけていないと
いざというときのはたらきは生まれない。

特殊能力があるわけではない。ただのおせっかい。
たくさんのひとに影響を与えることはできないが、「務め」を果たすことはできる。
それは湖に小石を投げるようなささやかさ。
元の木阿弥かもしれない。でも、少しの気休めにはなるんじゃないかな。

そのひとは、見違えるように男前になった。
以前と変わらず、きれいな目をしている。まだらの髪もよく似合っていた。

ずうずうしかったかな…
そのひとにどう思われたかはわからない。

活動的なそのひとを見たい、とあたしも思う。
しかし、そのひとが真面目に働いてきたお蔭で、いまは悠悠自適の生活だ。
子どもも自立し、孫を連れて遊びにやってくるという。驚いたことに、仙人みたいな
なりでも、お孫ちゃんは懐いているという。(きっといいお嫁さんなんだろう。)

家族の病気は、本人が潜在的に望んでいる場合があり、病人がいるお蔭で
全体のバランスが取れている場合もあるものだ。
渦中のひとは苦しいだろうが、長い目でみたいとわからないこともある。

そのひとは、さっぱりした頭とあごを撫でていた。
帰るときには、玄関の外へ出てきてしばらく手を振ってくれた。
その夜、半年ぶりに入浴したという。あくる日はゴミ出しをしたそうだ。
気休めだとしても、やっぱり嬉しい。

ひとは、自分以外の人生に対して、責任をとることはできない。
しかし、関わってしまったひとに対しては、責任感が生まれる。
そのひとが、こころの片隅に住み着いてしまう。
そうやって少しづつたましいの空間が拡がってゆくのだ。

だから、あえて波風立てていこう。
揺れながら、恐れずにいこう。
未来の誰かと、未来の自分を信じて。
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by udonge7030 | 2014-02-04 15:29 | どんげがゆく!


酒と 歌が あるから