
春巻きに小さな薔薇。めんこい…
昨年末から、
HOT MUSIC SCHOOL でうたのレッスンを受けている。
講師の小川美潮先生は歌手で、ソングライターでもある。
しかし、自分はとくにファンではなかったので、先生の歌をちゃんと聴いてこなかった。
プロに対して失礼なようだが、先生は歌がすこぶる巧いのだった。
CMソングなどもやっているので、その声は誰でもきっと耳にしたことがあるはずだ。
持ち歌の楽曲は可笑みがあったり不思議な感じのものが多く、
ユニークなイメージが前面に出ているのだけれど、じつは
「きっと天女の歌声ってこんなだよね」と思わせる、ど真ん中の美声と歌唱力を持っている。
そして、美潮さんには歌を通して伝えたいこと、やり遂げたいことがちゃんとある。
それは歌い手として一番大切なことだ。
初めてレッスンを受けたとき、正直に「そんなふうに歌えたらうれしいなと思ったので
来てみました」と伝えた。「そんなふう」とは技術的なことではなく、ある種の誠意とか
透明さとか、そんなである。冷静に考えると、めちゃめちゃ迷惑な生徒だ。
しかし美潮さんは
ほんと、みんなもっと歌えばいいのにね~。
願いごとは紙に書くより、歌ったほうが叶うんだよ~
と、それこそ歌うように答えたのだ。
(このひと、なんか巫女っぽい。全うすぎるぞ。いいな~。)
言い分があまりにも可笑しくって、ゲラゲラ笑ったんだっけ。
そう。元来歌や踊りは神への捧げものであり、死者のたましいを鎮めるものなのだ。
歌は目に見えない精霊のごたるもんたい。大気をさ迷うていた長崎ぶらぶら節が今、
うったちの胸の中に飛び込んできた。これをこんどうったちが吐き出せば、
また誰かの胸の中に入り込む。その誰かが吐き出せば、また誰かの胸に忍びこむ。
そうやって歌は永遠に空中に漂いつづける。これが歌の不思議でなくてなんであろう。
(なかにし礼『長崎ぶらぶら節』より抜粋)
あたしはとくに歌が巧いわけではないし、ド下手でもないが、
上達したいし、合唱やバックコーラスをやりたい。
好きなひととたとえ身体をあわせられなくても、声をあわせることはできるかもしれない。
初めて会うひとや、言葉の通じない相手とでも、声をあわせることはできる。
レッスンは月に2度。うちではお風呂時間や、家族の邪魔にならなさそうな時間に練習をする。
迷惑かなと思ったが、うるさいと言われたことはまだない。あまりにも本気なので、
切実さが伝わっているのかな。(…怖くて言い出せないのかもしれないね。笑
レッスンではジャズのスタンダード、童謡、ポップスなんかを歌う。
当初、英語の歌はなかなか覚えられなくて苦痛だったけれど、少しづつ慣れてきた。
本を読んだり、文章を書くときは集中してしまってまわりが見えない。
でも歌ってるときは、嫌でもオープンになるしかない。すると子どもが寄ってきて、
声をあわせることもある。子どものほうが早々覚えてしまって、ひとりでうたっていることもある。
あなたが歌ふとき 胸はまるくなって
ザラザラの心は いつかとけてなくなるの
今は忘れてた 笑顔とりもどせば
それだけでいいと
しあわせを妬いたり 寂しさがわかったり
迷路をほら 通り抜けて
はじめに進む
はじめて進む 時間
(歌詞:小川美潮『はじめて』より)
近いうちに、友だちの合唱団に混ぜてもらうことになっている。
どんなひと、どんな顔、どんな声に会えるかな? わくわくする!