桜梅桃李



カテゴリ:偏愛劇場( 29 )


アニメ 『言の葉の庭』

雷神(鳴る神)の 少し響みて さし曇り 雨も降らむか 君を留めむ
~雨が降ったら、あなたはここに留まってくれるだろうか…

いまの季節ににぴったりの、素敵なアニメーションを観ました。
アニメは好きだけど、絵が萌え系だったりすると少し萎えてしまいます。
しかし、これは短い作品なのですが、絵の構図も脚本も本当によくできていて、
何度観てもほうっとためいきが出るのです。

都心の日本庭園。
雨が降るときまって午前に学校をさぼる靴職人を目指す少年と、
こころに傷を負って職場へゆけない女性が、ひとつの東屋で雨宿りしながら
過ごすひととき。

約束も絆もない、孤独な2人がちょっとづつ、少しづつ距離を縮めてゆく。
そんな過程が哀しく美しく描かれています。

今まで 生きてきて いまが 
今が一番 しあわせかもしれない…


見慣れた都心の風景が、こんなにも新鮮に映るなんて。
たとえば、広告の使いかたにも生活感があって、全然あざとくないのです。
これはスポンサー冥利に尽きるだろうなあ! な~んて思ったりして。

まっすぐな十代の男の子の眩しさ。大人の女の脚線の魅力。雨季の緑のみずみずしさ。
爽やかな色気があって、でもとってもいいところで終わってしまうのです。
音楽も賑やかしくなく全編に余白が、余韻があって、観る側に展望を託されるような、
静かだけど非常にちからのある映画でした。

ちなみに高校生の息子に観てもらったら、「難しかった~」と言いながらも
魅入られていたようです。息子はガンダムファン。あたしはガンダム世代だけど
まったく接点がなく話もあわないのですが、やっぱりいいものはいいんだな。

主題歌は、大江千里さんの『Rain』。作品ににぴったりでぐっときます。
今回は秦基博くんが唄っていますが、このひとの声すごく好きなんだな。
(どこかで槇原敬之さんも唄ってるんだけど、そっちもいいです。
槇原さんは顔も声もけっこう好きですね。あはは、余談でした。)

むかし、日本には恋愛という概念がなく、恋を「孤悲」(こひ)と書いたそうです。
遠くに居るひとのしあわせをそっと祈るような、胸の奥でちくっと痛むような、
そんな柔らかなきもちを想い出しました。

来る七月は、ふみの月。
誰かに手紙を書いてみようかな。

雷神(鳴る神)の 少し響みて 降らずとも 我は留まらむ 妹し留めば
~雨なんか降らなくても、ここにいるよ…

*文中の太字は万葉集の中の歌を、映画『言の葉の庭』の台詞より拝借しました


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by udonge7030 | 2014-06-26 09:40 | 偏愛劇場

茨木のり子展

  
  僕の仕事は 視ている
  ただ じっと 視ている事でしょう?

  晩年の金子光晴がぽつりと言った
  まだ若かった私の胸に それはしっくり落ちなかった

  視ている ただ視ているだけ?
  なにひとつ動かないで? ひそかに呟いた

  今頃になって沁みてくる その深い意味が
  視ている人は必要だ ただじっと視ている人

  数はすくなくとも そんな瞳が
  あちらこちらでキラッと光っていなかったらこの世は漆黒の闇

  でも なんて難しいのだろう 自分の眼で
  ただじっと視ているということさえ
  

  ~ 『瞳』 茨木のり子

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世田谷文学館の茨木のり子展へゆく。
企画したひとたちの熱の入れようや、集ってくるひとたちの志のようなものが
伝わってくる、本当によい展示だった。

フロントの脇のソファーに座って池の鯉を眺めたり、
天井に映る光の戯れをぼんやりと追ってみたり、
図録を眺めて過ごすにもうってつけの、お気に入りの場所。

平日の昼間ののどかさ。
みんなそれぞれなにかしら波を受けて、胸の中に温かなお土産を抱えて帰ってゆくんだろう。
6月29日(日)まで開催中。


さて、茨木先生に影響を受けて、手紙や日記をできるだけ縦書きで書くことにした。
こういうテキストはしょうがないけどね… 
日本語の詩は当然縦書きなのだ。気がつくとなにもかも横書きになっていて、
それに対してまったく疑問を抱かなくなっていた。

この機会に3年連用日記を購入。
縦書き仕様の日記帖は少ないのであまり選びようもないのだが、よい買いもの。
1頁が1日×3年分なので、その日会った人や、どこでなにをしたか等
気になったことを記すだけのスペースしかない。

連用日記は簡単に読み返せてしかも面白い。
そのときの関心のありかや関わるひとは可笑しいくらいにどんどん変わる。
まるで別人のような自分に驚いてしまう。

さっき、とても怖い夢を見た。夢の中で泣き叫んでいた。
ああ、あのことはまだ終わってないのだなあ、とため息をついた。
こういうことも簡単に書き留めておく。

しかし、なぜにこうも飽かずに書くのかね、あたしは。
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by udonge7030 | 2014-06-09 03:44 | 偏愛劇場

映画 『渚のふたり』

最も尊いものを見るために 
一時目を閉じているのだ

最も正しいことを聞くために 
一時耳をふさいでいるのだ

誠の真実を語るために 
一時沈黙の中で待っているのだ


(以上 ヨンチャンの詩)

いまも余韻が広がり続けている韓国のドキュメンタリー映画
『渚のふたり』。


夫・ヨンチャンは目が見えず、耳も聴こえない。
脊椎に損傷があるため小柄な妻スンホとは指点字を使ってやりとりをする。
ふたりはとても仲がいい。―

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生まれつき耳の聴こえない知人がいる。
自分は手話ができないが、彼女は唇の動きが読めるし発声も上手である。
また、職場で聾の方と接することもあるが、発声が不得手な場合は筆談でやりとりする。
しかし、目の見えない親しい知人はほとんどいないので現状がわからない。

ヨンチャンはいったいどうやって言葉を獲得したんだろうか。
指点字なるものがあるということもはじめて知った。
そして、世界には同じようなひとが大勢いるのだ。


(以下 ヨンチャンの詩)

寂しいときは寂しいといいなさい
避けて逃げたりせず、振り返って干渉したりせず
ただ寂しいといいなさい
闇が濃いほど星が光り、夜が深まれば、朝は来る


あたしたちは目が見えるから大好きな本が読めるし、美しい映画や景色を
観ることができるけど、見たくないものだってたくさんある。
耳が聴こえるから音楽や会話を楽しめるけど、聞きたくもない音やことばが
洪水のようになだれ込んでくる。

見えるって、聴こえるって当たり前だと思っていたけど、素晴らしいことなんだ。
でも、見えること・聴こえることは、本当に知っていること・味わっていること
ではないのかもしれないね。

この春、お別れの際にたくさんのひとと握手をしてもらった。
温かい手冷たい手、乾いてる手湿ってる手、骨太のひと、なめらかなひと、
大きい手小さい手、強く握り返す手、優しく触れる手…
当然だけど、同じ手はひとつもなかった。

手と本人の印象が同じひともいれば、まるで別人のような手もあった。
さすがに嗅いでみたり、舐めたりもしないけど、触れることであらたな
そのひとを知り得たことが素朴に嬉しかった。

『渚のふたり』。
もう一度観たいなあ。地元で自主上映できるといいな。
ひとりでも多くのひとが出逢ってくれるとうれしい映画です。 
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by udonge7030 | 2014-05-12 17:20 | 偏愛劇場

まど・みちおさん

c0234001_1919045.jpg猫を囲む



























温かさと冷たさを繰り返すなかに、ちいさな春を感じてわくわくする。

2月の末日、まど・みちおさんが逝った。
まどさんの詩は有名すぎるけれど、なにせ詩の世界はマイノリティすぎる。
まどさんの詩の素晴らしさがもっと伝わればいいのにと想う。

勤務する図書館の児童室では『まどさん ありがとう』という展示をはじめた。
まどさんの絵本や詩集を集めたささやかな陽だまり。

詩なんか大人だって読まないのに、子どもだって読まないよね。
(だって、子どもは詩そのものだもの。)
そんななかで展示の本の売れ行きが上々で、嬉しい。

まどさんは、川向うのホームで暮らしていたので、お会いしたこともないのに、
川へ向かって お~い、まどさ~ん!  と呼びかけたくなる。
生きていても死んでいても、あたしにとってのまどさんは、まどさんで、
それは富士山に向かってお~い! っていうのに似ているんだな。

ある新聞での取材の際に「ご自分の詩で嫌いな作品はありますか」と尋ねられ、
<一ねんせいになったら>は少し嫌いです、と答えたまどさん。
そんな正直なまどさんが、大好き。


─ また こんどね
と幼い子にいった

─ また こんどとか
いつかとか いわないで
いますぐがいい
といわれた

わたしも
いますぐがいい


『いますぐがいい』まど・みちお



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by udonge7030 | 2014-03-04 19:31 | 偏愛劇場

キューティ&ボクサー

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年末年始にたくさん映画を観た。
ディズニーが思いがけず素晴らしくって涙がほろり儲けものだったけれど、
なんといっても一等賞はキューティ&ボクサーだ。事実はファンタジーを超えるのだ。

篠原有司男氏(うしお=ギュウチャン)はニューヨーク在住の前衛芸術家。
パートナーの乃り子氏は19才のときギュウチャンと出遭い、20才で息子を産んだ。

ギュウチャンの名は売れているが、生活はけっして楽ではない。
あるとき、ギュウチャンの作品を30万で買うという話があった。
妻はせめて100万くらいで売らなきゃ…と止めたが、ギュウチャンは言い出したら聞かない。
トランクに作品をいっぱいに詰め出かけてしまった。

でっかい重そうなトランクを抱えてゆくギュウチャン。
80代の身体のどこにあんなバカぢからがあるんだろう。
怒っているような、呆れているような、心配しているような表情の乃り子さん。
帰ってきたギュウチャンは満面の笑顔で札束を差し出す。じ~ん。

キューティは乃り子氏の分身であり、彼女の線描画のヒロインの名前である。
あるとき路上で「ヘイ、キューティ!」と声を掛けられてピンときたらしい。
(さすがアメリカ! がしかし乃り子さんはグレイのツインテイルが魅力的な
正真正銘のカワイ子ちゃんなのだ)

40年もの間、疾走するギュウチャンのサポートをしてきた。
異国での幼な妻の育児。裕福な実家からの仕送りも断たれ、言葉では言い尽くせない
想いをしてきたであろう乃り子さんのロマンの発露が「キューティ」だった。

Art is everything.

ふたりの火花は散る。

……………………………

後日、カッコいいキューティに感銘を受けてツインテールの三つ編みにしてみたあたくし。
伴侶はいいんじゃない? って言ってくれたけど、息子たちは「…やめなよ。」ですって。
オラオラオラ、この髪で参観日に行ってやる~と脅してやりましたが、われながら
たいした似合ってなかったので、シュン。子どもは正直デス。

渋谷のシネマライズでは「モヒカンとおさげのカップル割引」を実施中!
*篠原有司男氏は、日本で初めてモヒカン刈りにした方なのだそうです。豆知識。
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by udonge7030 | 2014-01-12 19:50 | 偏愛劇場

そこにあるもの

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        しかし、不安を打ち消すために人を求める。
        それも愛のかたちではないのか。
        たんに揺れ動く心。それだって愛のかたちではないのか。
        いや、私はかたちを求めすぎる。愛にも人生にも、
        そして音楽にもかたちなどないのではないか……。
 
                                


何年ぶりだろう。『とまどい』と『愛を弾く女』を観た。
監督はクロード・ソーテ。女優はエマニュエル・ベアール。

公開当時、ベアールはあたしのアイドルだった。
同世代の、匂い立つような眼差しのフランスの女。
カッコだけパリジェンヌ気取りだったあたしの憧れだった。

ひさしぶりに観るとああ、なんて彼女はあどけなかったんだろう。
登場人物の三角関係は、それぞれの年齢や境遇、性質が違いすぎて噛みあわず、
誰の想いも成就しない。映画にはいわゆるラブシーンがまったくないにもかかわらず、
胸をしめつけられる官能がそこかしこにある。

突然の雨の中、カフェをめざして走るふたり。
雨宿り、髪を結いあげた女のうなじから立ち上る香水の匂い。
あるいは急な男の旅立ちに、なすすべもなく握手するふたり。

「いいこと、ステファン、女は一歩踏み出したら、後戻りはしないわ」

当時の女友だちが「こういう微妙な男女関係は理解できない」
と言ったことが、いまも記憶にあります。

たしかに、結婚制度やカップルという枠に捕らわれていては無理な話で、
自分に正直に生き、相手を尊重する、自立しているからこその関係性。
だから、おもな登場人物をそれぞれ好ましく感じました。

不倫なんて陳腐な言葉は要らない。
瞳の奥に、指先に、そしてこころのなかにそれはある。

恋愛。友情。師弟愛。同志愛。名もない愛。名もない関係。
老いも若きも、初心も熟練も、愛することに、愛されることに
誰もがとまどいながら手を伸ばす。

人の心は人のものじゃない。神のものだ。
手だけは人のものだ。
言葉は手と心のあいだにある。


愛するきもちは、自分の中に。
愛されることに気づくのも、気づけないのも自分。
ないと思えばないし、あると思えばある。

自惚れ。勘違い。すれ違い。
痛いけど、あるのだと思えば、こころが温かく感じるでしょう。

カミーユのように、ネリーのように、真っ直ぐに。
願わくばそんなふうに生きていきたい。

~文中の太字の箇所は小説『愛を弾く女』ハヤカワ文庫より抜粋

どちらの作品もおすすめですが、とくに『愛を弾く女』は映画も小説も絶品です。
全編に流れるラヴェルのソナタが、ベアールが演じるヴァイオリ二ストの感情に
こころ憎いほど調和しています。
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by udonge7030 | 2013-12-10 19:33 | 偏愛劇場

殺し文句

「これはたった一回しか言わないから良く聞けよ」  
ある日 突然 改まって  
大まじめであなたはわたしに  
一つの賛辞を呈してくれた

こちらは照れてへらへらし  
「そういうことは囁くものよ」とか言いながら
実はしっかり受けとめた  
今にして思えば あの殺し文句はよく利いた

無口で  
洒落たこと一つ言えなかった人だけに
それは一層よく利いて  
今に至るまでわたしを生かしてくれている

そう言えば 私も伝えてあった  
悩殺の利き台詞 二つ三つ
あなたにもあったでしょう  
愛されている自信と安らかさ

ひとは生涯に一、二度は  
使うべきなのかもしれません
近ければ近いほど  
心を籠めて 発止と

粋でもある日本語  
人を立たしめる力ある言葉を
殺し文句だなんて  
急所刺すナイフのイメージだなんて


~殺し文句 ~茨木のり子(詩集『歳月』より)


殺し文句とは…そのひとことで相手の気持ちをすっかりうばってしまうような、
決め手となることば。(ベネッセ新修国語辞典より)

コ ロ シ モ ン ク 。
もしかしたら、男女のそれ以外はそう言わないのかもしれないけど、
あたしにも忘れられない台詞が幾つかある。

それらは、「可愛い」とか「きれい」とか、「愛してる」よりも絶大な効果で、
「有能」とか「すごい」とか、「カッコいい」よりもずっとずっと、
本質がそのまま立ち上ってくるような賛辞だったから、ここには
恥ずかしくて書けないけれど、いまも静かに熱くさせてくれる。

ことばはいつも噛みあわなくて、
キャッチボールしたいのに、ドッチボールになっちゃったり、
あらぬ方向に飛んでいって、あれあれ? 誰かを傷つけたり、
必要以上に浮かれポンチにさせてしまう。

だけど、諦めないでいたい。
あたしだっていつか誰かに Ride on time
ひとつやふたつの上等な殺し文句をぶちかましてみたいから。


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息子の初オムライス
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by udonge7030 | 2013-10-17 19:57 | 偏愛劇場

海ははいいろ

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昨年夏の海の思い出。
帰省した際に、墓参りへ行った。ついでに海へ行こう。
とは言っても行き当たりばったりで、海水浴場が見つからない。

母は心臓に負担をかけてはいけないからだなのに、早朝から運転し通しである。
自分はペーパードライバーなので役に立たない。
すると、思いがけず小さな海水浴場へ辿り着いた。

本当に狭い砂浜で、ひとも少ない。わが家(女2人男児3人と)と若い女男女、
自転車で旅をしているらしい初老の男性。プライベート感満点である。
海の家はひとつだけ。そこのご主人曰く、お盆も過ぎたし閉めようと思ったら、
ひとが来ちゃったから。今日が最後かな。


北海道の夏は短い。真っ黒い砂浜。空は青いのに、海は灰色。
脚を浸けると、いきなり深くなる。狭くて短かすぎる海、こんなのありかい!
そんなことにはお構いなく、子どもは盛り上がっている。

お腹が空いたのでお昼にした。お墓参りのときは、いつも赤飯を炊く。
北海道の赤飯は甘納豆の甘いお赤飯だけど、あたしの大好物だ。

ビールをひとつ注文。枝豆がついてきた。焼きいかもおねがい。
東京から来たと話すと、メニューにはないひらめのお刺身をサービスしてくれた。
枝豆もひらめも、すこぶる美味しい。新鮮で調理の加減も最高だ。

海の家のご主人は、旅人と一杯やっている。
ご主人の奥さんは、静かにニコニコと働いている。ご主人がなんとなくわが父に
似ているので、実は外面のいいダメ男なのでは? と思いじいっと見る。
しかし奥さんは福々しく、感じもいいので、なんとなくほっとする。

めんこい海猫が一羽寄ってきた。枝豆を放ると、ぱくっと食べた。
この子は人に懐いているが、海猫の群れからは距離を置いているらしい。
ひととも一定の距離を保ちつつ、お昼を食べている間だけ側にいた。

かき氷を注文。子どもたちはブルーハワイ、大人は金時。小豆は自家製だった。
夏以外はどうやって暮らしているのか。気になったが聞きあぐねてしまった。

お手洗いから戻り、さてお会計と思ったら母がすでに済ませていた。
いいっていいって、をやるのはみっともないので、ありがとうと言う。
中年になっても世話になってばかりで嫌になってしまう。

本当は家族でいろいろなところへ旅行へ行きたいが、親が元気なうちはと北海道へ帰る。
大家族で毎晩飲んで、たいていは母と墓参りへ行く。
実家は商売を営んでいるので、泊りがけで遊びに行くことはほとんどない。
自分が子どものころからそうなので、家族との楽しい思い出は少ない。

あの頃の海水浴はやっぱり父は飲んでいて、母はなぜか海岸のごみ拾いをしたりして、
帰りの車はごみ袋でいっぱいだった。そして、やっぱり母は運転のし通しだった気がする。
あたしはドラ娘だったが、中年になってもドラ娘のまんまだ。

そんな家だけど、さいわい息子たちは実家が大好きだ。
ジンギスカンもラーメンも海の幸も、暗い海も眺めのいいお墓も、
ヘンな祖父もデブの叔父さんたちも、賑やかな従弟たちも。

それにしても素晴らしい海の家だった。ご主人は元気だろうか。
いつかまた辿り着けるだろうか。


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葉山SUNSHINE+
CLOUDのカフェにて
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by udonge7030 | 2013-09-19 15:59 | 偏愛劇場

ちっちゃな同窓会

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いまさらだけど、クラス会が流行っているというニュースを見たことがある。
その日のためにプチ整形したり、ダイエットをしたりする女性も大勢いるらしい。
まったくばかばかしい。そのきもちはわからなくもないけれど、もっと別なところに
エネルギー注ごうよ。

コミュニケーションツールが増え、古い友だちと繋がる機会が増えた。
それは大変嬉しいことだ。がしかし、便利すぎるのはどうかと思うことも多いので
本当に大切なひととは、思い出したときにメイルでやりとりする程度。
すでに時代についていけないので、息子を頼りにしている情けない状況です。


そんななか、幼なじみのMと高校の同窓生Tちゃんが上京するというので、
ホテルのティルームで逢いました。

4時間あまり、うわさ話や昔話、不躾な質問などして時間はあっという間。
久しぶりに逢うひとは、黒目がちな瞳や声や愛らしい笑顔は変わらない。
齢をとって、身もこころも豊かになっている。

友人たちは、子どもの頃に子どもらしい時代を送って来れなかったようだ。
ひとりは母親が大病を患っており、もうひとりは母子家庭だった。
過酷な人生だったと思うが、いまはとても立派な女性になっていて、
女同士の旅を楽しんでいる。

スカシ、あたしはまだまだどっぷり育児中なので、地域の盆踊り会場へと
歩み去ったのじゃった。ああ、一緒に浅草とか銀座をぶらぶらしたかったなあ!


おまけ。ついでに思い出したことがひとつ。

中学のときに、友人Mと母校(高校)の学園祭へ行ったのです。
そのときのバンド演奏で清志のコピーをしていたひとに一目惚れ。
お蔭さまで受験勉強に熱が入りました。

そのひとは三つ年上なので、もちろんそれきり会うことはなかったんだけど、
そのころの親友の従姉経由でどうしたものかライブのときの写真まで手に入ってしまい、
ずうっと大事に持っていたっけ。

小柄で痩せマッチョで、やんちゃな感じのそのひとを、思い立って検索してみたらなんと、
すすきのでレストラン(カフェか?)を経営しているようだ。ライブやイベントもやるお店。
はにゃ~。まるで画に描いたようにますますカッコよくなってる。

よみがえるまぼろしの片想い。
好きになってくれたひとのことは覚えていても、好きだったひとのことは忘れてる。
薄情な女だな。でも、あの頃はキラキラだったな。キラキラ☆

いつか、すすきのへ行きましょう!
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by udonge7030 | 2013-07-31 05:43 | 偏愛劇場

『言い寄る』

c0234001_10491338.jpg今朝の夢。

むか~し一度だけデイトしたひとと、
伴侶の目を盗んでセックスをした。
(夢だからかんべんしてね)
そのあと、ふたりで湯船に浸かっていたら、
母に見つかり怪しまれてしまった。

そんなわけで、夢の余韻はぜんぜん素敵
じゃなかった。
せっかく夢を見るのだったら、めくるめく夢をみよう。
実家の風呂場でセックスなんてシケ過ぎだわ。

最近、田辺聖子氏の『言い寄る』を読み返していたら、
色っぽいシーンがいっぱいあったのでその影響かな。


田辺聖子原作の映画『ジョゼと虎と魚たち』も大好きな作品だ。
主演の妻夫木くんと池脇千鶴はあんなに可愛いのに(子どもっぽいのに)、
ものすごくセクシィで切ないのだ。あんな恋したことないのに、関西弁やのに、
なにか「身に覚えがある感じ」がしてしまうので、見る度に泣いてしまう。

『言い寄る』の主人公、乃里子はモテモテやのに、本当に愛している五郎にだけは
言い寄ることができない。そんなこんなのうちに、五郎は乃里子の親友・美々に
言い寄ってくっついてしまう。

恋愛小説が好きかと言われればそのとおりなんだけど、
なんども読み返したくなる作品にはなかなかお目にかかれない。
宮本輝の『錦繍』、絲山秋子の『海の仙人』、なかにし礼『長崎ぶらぶら節』なんかは畏れ多い。
主人公の背景が重すぎるのだ。(どれもおすすめします。

三浦しをん『舟を編む』、川上弘美『センセイの鞄』あたりならクスクス笑えて
しみじみもし、満足もする。でも、「身に覚えがある」感においては、『言い寄る』
にはかないません。以下、『言い寄る』(講談社文庫)より名文を抜粋してお届けします。


真の渇望は、人から言葉を奪ってしまう。

いますぐ、あの男の電話が分かったとて、電話する勇気はなかった。
ただそんなことをして彼のことを知ろうとワクワクしている自分の、
いまの状態が好きである。
私は、まだ男を好きになったり、心を乱される、ということができる、
そういうゆたかな感じが好きだ。


彼があんまり、やさしいと、かえって嫉妬する。
うすなさけで気づよくふるまわれると、私はまた、嫉妬する。ひがむ。
ほかのひとにやさしくして、私には、いいかげんなのだろう、なんて。


五郎を失ったからといって、水野に執着しているのは(私はいつも思うけど)
浸かっている海水のほうが温かいからといって、陸へ上がろうとしない人のようである。
どうせ、体が冷え切ってしまうのに。
そのときはつめたくても、早く陸へあがった方が楽になるのに。


それはゆきずりの人のやさしさなのだった。
そんなやさしさが、五万十万と集まったって、
「言い寄る」ほうへ、質的変化はしないのだった。



田辺聖子氏の本を読むようになったのは、『言い寄る』三部作の復刊がきっかけでした。
そういえば中学生の頃の担任に、「最近、本を読みましたか?」と尋ねたら
「田辺聖子。読んでて楽なんだよね~」と答えたの。

先生は当時20代半ばだったけど、あたしからみるとおばちゃんだった。
その頃は、「楽ってなんだろう? 田辺聖子なんて一生読まないかも」
なんて思ってたんだから。

いまでは自分もすっかりおばちゃんだ。
作品はまだそれほど知らないのに、すっかりファンになってしもた。

そうして、「おばちゃん」も永遠の女の子なのでありまする。
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by udonge7030 | 2013-07-23 10:54 | 偏愛劇場


酒と 歌が あるから