伴侶には悪いが、(子どもを除いて)一番大事なのは誰かと問われたら、母親と答えるだろう。
年末に実家へ「もし布団が余っていたらちょうだい」と頼んだら、作って送ってきた。
布団やさんに注文したのだという。当然、手作りのおせち料理も一式付いていた。
わが母は無名だが、スーパーマザーである。
努力の
努の字は母のためにあるようなものだ。
ピアノや日本舞踊…自分にできなかったことをなんでもあたしにさせた。
母であることの歓びと悲しみを誰よりも噛みしめて生きてきた昭和の女。
でも、あたしは本当はもうなにも要らないのだ。
年末年始に、関係があまりうまくいっていない義母の気力の衰えを感じた。
いつもかならず嫌味を言うのに、なにも言わないので心配になってしまった。
きっと伴侶にとっても一番大切なひとは、やっぱり義母なのだろうと思う。
お義母さんには敵うまい。どうして今まで気づけなかったのだろう。
幾つになっても満たされない。幾つになっても寂しい。
好きなひとと結婚しても、子どもを何人産んでも、好き放題やってても渇望してる。
四十年余り生きてきて気づいたことはこんなだったよ。
がしかし、ひとりでいてもほんのり楽しくて、みんなといても群れず引きこもらず、
嫌なことは嫌と言えて、好きなことは好きと言えるなら上等じゃないか。
これで親孝行できたなら、言うことなしである。